先日、部下がみんな辞めて「最後の一人」になった時の話という記事を書きましたが、昔の自分を振り返った内容でもあり、今の自分にはとっては割と備忘録的に自戒の念が込められた内容でした。
ざっくり説明をすると“自分は上司として尊敬され慕われていると思っていたが、結局それは自分の「良い上司像」でしかなかった。信頼され・尊敬される基本は対話。なのに質を重視する余り、そもそもの「対話量」が足りていなかった。”という話です。
上司と部下のコミュニケーションの話なのですが、この記事を書いている際にふと思い出した出来事がありました。
それは以前に「育成・教育」をテーマとしたマネジメント層に向けた勉強会に参加した時の話です。
勉強会で出会った、ある会社の「出来ない部下」の話
その勉強会は、新入スタッフを始めとする若手層の“育成・教育”をテーマとした研修で、色んな企業の育成手法を共有し「何か自社でも活かせることがないか」を学ぶのが目的でした。もちろん管理職を始め、小さな会社の経営者など育成に悩む者同士の集いです。
そこには業種も違えば年齢も違う多種多様な管理職が勢揃いしていました。3人でのワークショップ形式、途中の意見交換での話です。
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男A:若い子って、ビジネス教養は割と早く身に付くんですけど、言葉をすぐ表面で捉える癖がありませんか?
丸山:どういうことですか?
男A:日報や議事録をお願いすると普通“共有前提”で作るじゃないですか。だけど実際は“ただのメモ”でしか無いんですよね。
男B:それはありますね。もうちょっと想像力を働かせて欲しいなぁ〜、と感じることはありますよね。
男A:そうです、そもそも勘所が悪いというか“出来ない部下”が多いんですよね。
丸山:(・・・?)
男A:赤色と黄色は使えるけど、オレンジ色の使い方が分からない。そういう感じです。
丸山:(・・・???)
男B:混ぜるだけなのに、ということですか?
男A:そう。良いと思うことはどんどん自発的に挑戦して欲しい!と常々言ってるんですが。
丸山:(そこは分かる)
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丸山:理想としてはどのレベルまでの成長を期待していますか?
男A:やっぱり独り立ちですね。1人でも自信を持って熟せるようになって欲しいですよね。教えてる時間はチーム全体の生産性が落ちてしまうので。
男B:いつまでも指示でリソースを取られるのは厳しいですよね。
男A:はい。ただ、いつまで経っても受身だと、ずーっと大した仕事は出来ないんですよね、実際。良い仕事が出来るなら“自分でこれくらい出来ます!”ってアピールするでしょ、普通。
男B:受け身なのはありますよね、若手スタッフあるあるというか。そこは任せられない原因として大きいかも知れないですね。
丸山:そういった人にどうやって育成していくんですか?
男A:小さな事ですが、何度もやり直しさせるしか無いですね。出来ていない事を理解させて、奮い立たせるようにしています。
男B:仕事の納期とのコントロールはどうしてますか?
男A:“多少の納期”はお客さんに説明していますが、部下育成の本質はクオリティなのでプロ意識を醸成させる事が重要だと思っています。
丸山:その“多少の納期”の数が増えて、忙殺されるなんてことは?
男A:まぁ、そういう時ももちろんありますよね。
男B:クオリティの基準はあるんですか?
男A:そこが難しんですが、結局上司側の立場からすると“指示するか・任せるか”しかないんですよね。私の出したハードルを超えて来たらOK!という感じですかね。
丸山:ちなみに、そのリテイクでスタッフさんは潰れないですか???
男A:加圧トレーニングみたいなもんです。成長としては一番早いし一気に伸びますよ!
丸山・男B:か、加圧トレーニング・・・
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業種や社風によって育成方法は異なるので一概にどうとは言えませんが、会社全体としてではなく、個人を対象とする部下への育成を画一化するのはどうなのでしょうか。
個人への育成は“成熟度に併せて柔軟に対応するもの”だと思うのです。
いわゆる「SL理論」というもの。
S1〜S4の発達度に応じて上司が(リーダーシップとしての)行動を変える事をSL理論と言います。
- S1:指示型
トップダウンで、手取り足取り具体的な指示を出す - S2:説得型
プロジェクトの方向性や具体的な手法などを伝授する - S3:参加型
意思決定の支援以外は部下の自主性に任せる - S4:委任型
目的のみを共有し、その他の手法については任せる
部下の成長度合いで上司はリーダーシップの取り方を変えましょう。
先程の話で当てはめると“指示するか・任せるか”は、S1とS4しか存在しないことになります。もしかするとS2・S3の段階を「部下の甘え」と認識しているのかもしれません。
これではクオリティの許容範囲があまりにも狭すぎます。“出来ない部下”基準も厳しく、上司のハードルも一体どこで超えられるのか分かりません。
直接的な上司と部下の話ではないのですが、許容することに対するこんな話があります。
「リスクゼロ」以外が許容されなくって、ちょっとでもリスクが残っていると「こういうケースがある!この時はどうするんだ!リスクを放置するのか!!」と言われたりするんです。
出典:「リスクゼロ以外、許容できない」という人たちに遭遇するけど、多分それは、みんな不幸になる考え方。
つまり、そういう人たちにとっては、リスク保有は勿論、リスク軽減やリスク移転さえ「リスクを放置している」というように見えるらしいんです。
リスクが「ある」ということ自体が許せない。リスク対応時の完璧主義ですよね。
〜 中略 〜
割と重要な認識として「リスクをゼロにする為のコストは基本バカ高いので、あまり現実的ではないことが多い」ということは、一つの常識になってもいいんじゃないかなーと感じています。
勿論、リスクを指摘すること、それ自体は重要なんですけどね。
これは上司が部下に業務を任せる際の「どこまでのクオリティを許容するのか」と同義ではないでしょうか。
部下への育成として何度も手直しを要求することは多いと思います。その厳しさの裏には成長とやりがいがあり、会社としての仕事のクオリティを保つ意味があります。
しかし作業コストで捉えると、それが最低限のクオリティを満たしている場合、一体どちらが正しいのか。文中にもありますが「指摘すること自体は重要」なのですが、許容しないコストもまた問題なのです。
自分の「納得感」よりも、部下の「達成感」を優先させよう
「指示すること」はクオリティをコントロールし、リスクを軽減させます。反対に「任せること」はクオリティを部下に委任し、リスクを許容します。
細かな指示を出さないとクオリティを担保出来ない、と思っている上司は自分の判断で部下の可能性を狭めているという視点も持つべきだと思います。
結局のところ、上司の納得感を優先させたいのであれば、全て自分でやってしまった方が理想通りの仕上がりになります。しかし、それではただの独り相撲。典型的な“仕事抱え込みダメ上司”の出来上がりです。
社歴もそうですが、ひとつの業界で歴が長くなってしまうと、つい部下に対する許容範囲は狭くなりがちです。マネジメントする上司の立場としては任せるリスクを背負うよりも、ミスを指摘する方がラクなのですが、部下からすると、ただの機会損失でしかない場合もあります。
部下の可能性は上司が決めるものではありません。
「成長度合いに合わせて、適度なチャンスを与えること」が上司の役目ではないでしょうか。
部下の本当の成長を望むのであれば、自分自身の納得感よりも部下の達成感を優先させるべきだと思うのです。