「人と人は分かり合えない。」
正直、経営に携わっている人がこれを言うのは言い訳に聞こえる。
言い訳を超えて、怠慢にも感じる。
ただ、これは真実である。
大切なのは、分かり合えないことは「諦め」ではなく「前提」だということ。
─
物事への理解の度合いを「解像度を高める」と表現する時がある。
自分1人が解像度を高めたいなら、経験を増やすのが最善の方法だろう。
しかし誰かと共通の問題に対する解像度を高めたい場合、能力や意識の個人差がある故に「自分もやったことないから分からない」とさじを投げた経験は誰しもあるはず。
この“やったことないから分からない”は少々厄介な問題で
- ちょっと考えたら分かる
- それは想像力が足りない
- あいつは勘所が悪い
経験値のある側は、ついそう思ってしまう。
当たり前だが、経験することが全てではない。
これを解消するのが言語化である。
互いの言葉で互いの解像度を高める作業こそが「対話」である。
どんなに経験値を増やしても、結局のところ目に見える物事の解像度は低い。
人と人は分かり合えないのだから。
他者と働く 〜「わかりあえなさ」から始める組織論〜
https://www.amazon.co.jp/dp/B07Y5FF3M4
「早く行きたいなら一人で行け、遠くへ行きたいならみんなで行け。」
もしかすると、これは今の時勢的に「早く行くにも、遠くへ行くにも“みんなで行け。”」なのかも知れない。
さぁ、昼からも頑張ろう。