「決して仲が悪いわけではないけど、仲が良いわけでもない。照れ屋さんが多いから、みんなそれぞれが自分のパーソナルスペースを保ちながら、仕事には真剣に向き合っている。」
面接の場で私が自社を紹介するとき、いつもこう表現する。
立場上、会社と社員の関係性について考えることは多い。
突き詰めれば、そのつながりは「雇用契約」という法的な枠組みに過ぎない。
お互いに同じ目標を持っているように見えても、会社は利益を追求し、社員は安定や成長を求める。
それぞれの立場で求めるものが異なる以上、過度な期待をすれば、どこかで歪みが生じるのは当然のことだ。
会社として強い理念を掲げることが難しいのも、この関係性に起因するのではないかと考えている。
なぜ経営者の夢に、社員がつき合わなければならないのか。
会社のビジョンに共感できるかどうかは別として、社員にとって会社は「人生を預ける場所」ではなく、「今の自分にとって最適な環境」であることが優先される。
だからこそ、経営者がどれだけ熱く理念を語ろうとも、その理想に共感しない人がいるのは当然のことだろう。
かくいう私も、社員時代はそう思っていた。
会社とは「組織そのものが成長し、独自の文化を持つもの」。
経営者が掲げる理念だけで動くのではなく、組織の仕組みや人々の関係性が自然に形作られていくもの。
今もその考えは変わっていない。
むしろ、経営者の介在なしに会社が人格を持ち、自走することが理想ではないかと思うようになった。
個々の価値観や関係性の積み重ねによって組織の文化が生まれ、経営者が指示をしなくとも、会社という「箱」が自然と循環する仕組みを持つ。
そんな状態が実現できれば、経営者の夢や個人的なビジョンに依存せずとも、組織は継続的に成長し、働く人にとって意味のある場になり得る。
だからこそ、仕事は単なる労働の場で終わるべきではない。
どうせ働くのであれば、ただ義務として時間を切り売りするのではなく、「働くことが楽しい」と思える時間にしたい。
雇用契約という枠組みの中でも、そこで働く期間が、単なる生計の手段ではなく、自分の成長や充実感につながるものであるべきだ。
もし、会社をそうした「強い箱」として育てることができれば、個人の意思に頼らずとも、組織は独自の文化を持ち、自走するようになるのではないか。
そのとき、会社は単なる雇用契約の枠を超え、一つの「人格」を持つ存在へと進化するのかもしれない。
・・・という事をもっと上手く人前で話せるようになりたいので、徐に文章としてアウトプットした次第です。
業務に戻ります👋